情熱(レンズ1本勝負)と情熱(レンズ沼)の間で。

情熱の在り処はどこに

時々、写真をとっていて、自分が感じているカメラの楽しみってなんだろうと思う。
私のことだけれども、結構レンズ沼にハマって、色んなレンズを試していた時期がありました。面白そうなレンズを試して、その写りの良さに惚れ惚れして。。。その一方で、面白いとは分かるけど、どこかで冷めていく私もいる。そして、時間が経つとまた懲りずに色んなレンズを調べだす。「人は選択肢が多いほど不幸になる」選択のパラドックスという話も心理学者の人が言っているけど、カメラをやっている人ほどこのことを実感、あるいは否定できる人はいないだろう。

そして私は疑問に思ってしまったのである。自分は、写真、レンズ、カメラに何を求めているんだ?!一体何がしたいんだ。。。さらに自分を例にして写真撮影という行為を振り返るならば、一体何が楽しくてこんなに沢山の人がパシャパシャしているのか。写真にかける情熱の根源はどこに由来し、それはどう異なっているのか。
そういった疑問点に応えるべく、実際に私が過去に撮った2枚の写真を例にして、「写真」のこと、自分のことを振り返ってみた。



昔の写真を見てみる

以前に同じ場所で撮影された写真を2枚用意した。それぞれの撮影対象は異なるものの、時間、場所はほぼ同じである。
各写真を振り返り、当時撮影した際の心理的状況を見つめ直してみた。

まず1枚目。桟橋を渡っているとき、ふとカモメが目の前を横断していくので、その様子を撮影した写真。

普段は遠くを飛んでいるはずのカモメがふらっと風に煽られ、近くへと飛んできた。なんとなく珍しいな、と思って、とりあえずレンズをそちらに向けてパチリ。もちろん鳥は動きまくるので、連写している。そのうちのピントがあった1枚。

そして、2枚目。その後、少し歩いたところに立てかけてあった釣り竿達。観光客が大勢通り過ぎる中、地元の人だろうか?釣り糸がたらしてあった。

この場所は比較的有名な桟橋であったことから、観光客も大勢歩いていた。そんな中にも地元の人が、のんびりと釣りをしていたりした。慌ただしく写真を撮り、楽しげに過ぎていく人達の横で、ひっそりと釣り糸を垂れる釣り竿は、ここに密着した生活を表しているようで、印象的な場面だった。

省みる

たった2枚の写真だけど、どっちの方が、印象に残っているか、『何か』を撮ろうとしたかは明確だ。
その時の印象を残そうとした写真は間違いなく後者であり、見返しても微妙な写真だなあとは思いつつ、周りとのギャップとか、心情的に惹かれた瞬間を撮ろうとしている。通り過ぎる人達を流しながら、動かない釣り竿を撮りたいと思ったのも覚えてる。従って、後者の写真を撮っていた時の方が、明らかに私が楽しく、そして写真撮ってるなあと感じていたのだろう。

さらに此処から写真という行為自体を振り返ってみると、「写真」と一括りにしても楽しみ方は全然違うよねということなんかなと思う。様々なレンズを試し、それぞれの持ち味を引き出して表現を楽しむ。印象的な場面に出くわした時に、その表情・雰囲気をどうやって切り取るかをトコトン楽しむ。(その両方が噛み合った時のクオリティは高そうだ。)どちらの楽しさもあるんだな。
写真、と言ってしまってごちゃってしちゃうと、どこで自分が撮影を好きなのか、意識しづらいかもしれない。そのせいで、なんか違うなあ。。。とカメラから離れてしまっては、カメラも勿体無い。事実、私はここがはっきりせず、時に夢中になり、時にカメラから離れたりを繰り返してた。

さて、もう一度自分のことを見つめ直してみる。
様々な焦点距離、個性をもつレンズ。それらを味わうのは本当に楽しい。
でも、こっちのレンズかな、あっちかな?と悩む前に、自分が何を撮りたいのかで悩みたい。心に触れた景色・感情に出会った時に、どう切り取るのか、どこを切り取るのか。
そういった積み重ねをしてみたい。レンズの楽しみではなく、私は如何に被写体を切り取るかという活動自体を楽しみたいらしい。

つーわけで、私は、自分好みの焦点距離を捕まえて、それととことん付き合ってみようか!という気持ちになってきていたり。
今まで試してきた中で、気に入った焦点距離は、APS機に28mmをつけたときの風景だ。それより少し広角側で、富士フィルムのラインナップだと、23mm(35mm換算で35mm。ややこしや!)かな。27mmもあるけど、パンケーキレンズはあまり好みではないし。。。

楽しさは、本当に色んな種類がある。写真と一括りにするとそれがぼやけてしまうけど、よくよく考えてるとどこが楽しいのか、よりディテールがクリアになってくる。

どちらの楽しさも、撮りたいという情熱に変わりはないんだろう。

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